体罰という言葉を安易に使うな

高校ソフトボール部で体罰 被害生徒みずから退学“さみしい”
https://t.co/o15OnreYfr

子どものスポーツ 今も体罰がなくならない理由は
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221018/k10013862351000.html

【仙台中2自殺】在校生や保護者ら、「体罰」2教諭の復帰要請 「生徒や保護者から信頼されていた」
https://sankei.com/article/20170720-PAJF3H76N5OPTBBSL2OUX5G5VM/

https://news.yahoo.co.jp/articles/38fe7cbc33936bc6775ac7a82ba6d33eb1d646de

マスコミも社会も、こぞって「体罰」を使い続けているのはなぜだろう。
「体罰」という言葉をよく考えもしないで安易に使っている社会からは、「暴力指導」は無くならない。指導者や先生が、悪い生徒に「罰」を与えているかのような隠れ蓑を着るからである。「体罰」を使うと、当人もその家族もものが言えなくなってしまう。
罰は、罪を犯した者に与えられる制裁である。
「体罰を受けた」と言われる子どもは、じつは「罰」を受けるほどのことはしていない。
忘れものをした。OBのために用意したアイスクリームを食べた―それが、半殺しの目に遭わされるほどの悪事だろうか。言葉で注意すれば済むことである。
「体罰」と言われている行為の全てが、一方的な暴力である。
「体罰」を安易に使うな。
「暴行」「暴力」「虐待」と言おう。




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